2018-08-15

見たくないものは見えない

私の住む界隈は
大阪の中では都会の方で

美しくもあり
美しく無い場所も多い所です。



Parisの街にも言える事

何処にでも陰陽はあり
それら全てがそれなりの調和を取っている。



街にもエネルギーがあり
場所によっては美しくないエネルギーに
負けそうになる事もあります。


その中でいかに自分らしさ
在りたい自分を保つか。

自分軸を試される時です。



とは言いながら人間とは
自分が見たくないものは見ないのです。


私は街中を歩く時
あまり周りを見ません。

よそ見する余裕が無い事もありますが
見たいと思う美しいものは
ほとんど見れた事がないから。




先日、夏休みの学生たちが
いつもと違ってたむろする中

あまり綴るに相応しくない
美しく無いものが落ちていました。


前から来る学生がそれを見て
立ち止まってしまうまで

私はその落ちていたものの存在に
全く気付いていなかったのです。




我ながら気付いた時には
一瞬硬直してしまいましたが

自分の無意識が美しくないと認識し
私に見させないものがある事実を知りました。


入れたい意識を入れる事には
若干手こずる私の無意識も

なかなか捨てたものではないと
見直す機会となりました。



但し、この機能が上手く働いて
我が身の美しくない動きまでをも
見ない無意識の自分もいるという事。

その辺はしっかりと認識し
容赦なく喝を入れなくてはと思います。




何処にいても
何にフォーカスするか。


美しいものにフォーカスする人は
何処にいても美しいものを見つけられる。



無意識は不思議なものです。




愛と感謝を込めて
camélia Ayako

大阪 ハイヒール camélia Ayako
愚か者ははるか遠いところに幸福を探し求め、
賢い者は足元で幸福を育てる。
ジェームズ・オッペンハイム